王羲之の書をこよなく愛した唐の太宗皇帝
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墓である昭陵(しょうりょう、唐の太宗皇帝の陵墓で、現在の陝西省西安市の北方にある)に副葬させたと言われています。その後の戦乱を経て王羲之の真筆は全て失われたと考えられています。現在、王羲之の書とされているものも、唐代以降に模写したものと、石版や木板に模刻して制作した拓本のみであるとされています。「快雪時晴帖(かいせつじせいじょう)」は、古くは唯一の真筆と考えられておりましたが、清の乾隆帝はこの書を愛し、自ら筆を持ち「神」と記したほどです。しかし現在では「喪乱帖(そうらんじょう)」などと同様に、精密な双鉤塡墨(そうこうてんぼく、書の上に薄紙を置き、極細の筆で文字の輪郭を写しとり)、その中に裏から墨を塗って複製を作ること)等の手法による模写本であるとされています。 |
「快雪時晴帖」 麻紙を使用し、サイズは縦23×横18.4cm、4行で行内の字数は一定でなく、全文で28字。 |
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「喪乱帖」 王羲之の尺牘(せきとく、書簡、手紙のこと)5通ほどをあつめて1巻としたもの。御物。最初の尺牘の第1行に「喪乱」という文字があるので,この名称がつけられました。 1紙17行、長さ63センチに及ぶきわめて精巧な模写本。王羲之の真跡そのものでなく,唐代あるいはそれ以前の双鉤塡墨であると考えられていますが,王羲之の書法を十分に伝えているといわれています。「延暦勅定(えんれきちょくじょう、桓武天皇の使用印)の印が押されているので、かつては桓武天皇の所蔵であったことが明らかで、もとは正倉院に蔵されていました。奈良時代に遣唐使によって唐から将来されました。 |
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「楽毅論」 楽毅論は、中国、三国時代の魏の夏候玄が、 正倉院に伝わる「楽毅論」は、光明皇后(701-760)が 天平勝宝8年(756年)に亡くなった聖武天皇の冥福を祈るために、遺愛の品々と共に東大寺へ献納されたのが、この楽毅論です。王羲之の筆づかいの特徴をよくつかみ、原帖のよさをくっきりと浮かび上がらせた臨書の最高峰と謳われています。 |
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